文化の違いを架け橋へ:日独間の異文化コミュニケーションと異文化理解
- Rumi Hasegawa
- 10月27日
- 読了時間: 3分
更新日:6 日前
ドイツは多様性のある国です。世界中の人々がここで生活し、仕事をしており、それがドイツの日常生活を形作っています。私自身もドイツに住む外国人であり、その一員です。大都市では外国人であることによって目立つことはほとんどなく、多くの企業では国際的な協働が当たり前になっています。
しかし、文化の多様性には課題も伴います。異なる文化間でどのようにコミュニケーションを図ることができるのでしょうか。異なる価値観や考え方を持ちながらも、どのようにすれば互いを理解し、共に成長できるのでしょうか。それは永遠の課題です。
異なる文化が互いに出会うとき
日常生活においては、言語よりも文化に起因する誤解が生じることがあリマス。ドイツでは自立性と直接的なコミュニケーションが重んじられ、問題は自分で解決することが期待されます。一方で日本では配慮と調和が中心であり、対立を避け、相手の面目を守る傾向にあります。その結果、他人の気持ちには敏感でも、自分の気持ちには鈍感、という不思議な現象が起こります。
こうした違いは、職場や日常生活で容易に緊張を生むことがあリます。日本人にとってドイツの率直さは時に厳しく感じられるし、ドイツ人にとって日本人の控えめさは不確かさとして受け取られることがあるでしょう。しかし、どちらが「正しい」あるいは「間違っている」ということではありません。ここで重要なのは、相手がなぜそのような行動を理解すること、そして、自分の価値観は何なのか理解することにあります。

二つの文化の間で生きる
ドイツに住んで約九年が経ちます。私は完全に日本人でも、完全にドイツ人でもありません。二つの文化の間を振り子のように行き来する中で、他者についても、自分自身についても、多くの学びを得ることができました。このような文化の行き来は、ジェットコースターのようで、時に疲れることもあるが、同時に刺激的でもあります。なぜなら、文化を行き来する過程によって、自分の存在やアイデンティティを見つめ直し、成長する機会を得られるからです。私の日本人としてのアイデンティティは、私の中に深く根付いている一方で、他文化との出会いを通してアイデンテイティは常に変化しています。
文化の多様性はチャンス
異なる国の人々が共に働くと、違いだけでなく新しい視点も生まれます。重要なのは、その是非を判断することではなく、「なぜ相手はそう考えるのか」、「どのような経験がその見方を形作ったのか」と問いかけることにあります。
こうした問いかけは理解を深め、異文化理解力を養う助けとなるでしょう。そして、それは、グローバル化が進む現代社会でますます重要になっています。文化の違いは障害ではなく、互いに学び合い、共に成長するためのチャンスと捉えるべきです。
互いをつなぐ橋を架ける
異文化理解とは、自分と相手との間に橋を架けることを意味します。それは、相手を変えるためではなく、相手と自分に対する理解を深めるための橋となります。その理解を促進するために、異文化コーチングのようなサポートが今後、重要になってくるのでは、と考えています。


